九州・山口の近代化産業遺産群【軍艦島】

軍艦島とは、通称であり、正式には、端島(はしま)というのが正式名称です。
日本の近代化を象徴する数々の遺産群が九州北部地域にあり、その中の重要な構成資産の一つが軍艦島です。
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2009年1月5日、世界遺産暫定リストに掲載された「九州・山口の近代化産業遺産群」の構成資産の一つとなり、炭鉱閉山後の永い眠りから目覚め、現在では、多くの観光客が日々見学に訪れる、長崎でも有数の観光地となっております。

荒廃した炭鉱が、今や、日本の産業化、近代化を支えた歴史を物語、過去を振り返るための、貴重な存在となっております。
特に荒れ果てた住居跡、採掘の現場や子供たちが通った学校跡が生々しくあり、人類のこれまでの「歩み」さえ考えさせられるものでした。
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軍艦島は、長崎港より船で約40分の小さな海底炭鉱の島でした。草木のない、水成岩の瀬にすぎなかった島を、1890年から三菱の経営によって、製鉄所向けの製鉄用原料炭を供給し、掘り出した土砂によって島の周辺を埋め立てながら、荒波から島を守るための護岸堤防の拡張を繰り返し、現在の島の形状にしていったのです。

1916年、日本初の高層鉄筋アパートが建てられてから、次々と高層建築が林立し、海の要塞の感を呈するようになり、軍艦「土佐」に似ていることから軍艦島と呼ばれるようになりました。
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最盛期には、約5300人もの人々が住み、東京の9倍の人口密度の中、島には、小中学校、神社、病院、商店、映画館やパチンコ等の娯楽施設がそろえられていきました。

ところが、昭和30年代後半から、エネルギー革命により、石炭の需要が減少し、1974年1月15日に閉山し、無人島となりました。
それ以来、島は放置され荒廃していきます。

そして現在、九州・山口の近代化産業遺産群の世界遺産登録という新たな目標に向かって整備されています。
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島に上陸すると、見学できるのは、護岸堤防沿いに歩いて行ける3か所のみでした。高層鉄筋アパート群を始め多くの建築物は倒壊の危険性があるため立ち入り禁止となっています。そのため、それらの建物から離れた場所から安全を確保しながらの見学、説明となります。
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ガイドによる島の歴史を聞きながら、当時の喧騒を想像します。世界遺産への登録はもちろんですが、日本の近代化の証として、長崎の歴史と繁栄の時代を映す役割を担い、今後の更なる取り組みが求められます。
このままでは、遠からず高層アパート群は倒壊し、いずれ、瓦礫の山となります。この島の現在の姿を、このまま残していくための取り組みが必要不可欠であり、行政の早急な取り組みが必要です。
是非、この日本の遺産を、このままの姿で次の世代に残していくべきではないでしょうか。
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